今宮の錻力

翌日、岸ノ里のアパートへ移つた。移転先は病院へも秘密にし、そして「俺ハ考ヘル所ガアツテ好キ勝手ナ生活ヲスル。干渉スルナ。居所ヲ調ベルト承知センゾ。昭和十二年九月十日午前二時誌(シル)ス」といふ端書(はがき)を母と兄宛(あて)に書き送つた。
 ところが、それから三日目に田辺の叔母が病院へやつて来た。
「あんたの同棲してゐる女は今宮の錻力(ブリキ)職人の娘で、喫茶店にゐた女やいふさうやが、あんたは親戚中の面よごしや。それも器量のええ女やつたら、まだましやが......。」
 さう言つて叔母は、一ぺんこの写真の娘はんと較べてみなはれと見せたのは見合用の見知らぬ娘の写真だつた。楢雄は廊下に人が集つて来るほどの大きな声を出して、叔母を追ひかへした。そして三日目に病院をやめてしまつた。無論、叔母の再度の来訪を怖れてのことだつたが、雪江には、
「いくら伝染病院だといつても、あんなに死亡率が高くては、恥しくて勤めてゐられない。」
 と言ひ、しかしこれは半分本音であつた。


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